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アート
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山田純嗣

 セザンヌの《赤いチョッキの少年》をもとに描いたこのドローイングは、主人公である少年の部分は空白で何も描かれていない。それに対して少年の周辺は、実際の作品には描かれていない動物や植物が細かく描き込まれている。この作品の全体を離れて見たとき、その描き込みは均一なグレーのトーンになり、少年のシルエットを浮かび上がらせる。それに気づいて近づいて見ても、少年の部分に少年は描かれていない。さらに周辺の描き込みに何が描かれているか見ていくとき、セザンヌの元絵のイメージは忘れている。何も描かれていない余白を見てイメージを思い浮かべ、描かれている部分を見て絵全体とは別のものを見る。私たちは絵を見るとき、何を見ているのだろう。絵を見ることによって人それぞれの中に目の前の絵とは別の何かが浮かんでいるようである。
 私にとってこのセザンヌの《赤いチョッキの少年》は、小・中学生時代の美術の教科書に載っていて、憧れの作品の一つだった。高校生になった頃、横浜美術館で「開館1周年記念 西洋の名画展 スイス ビューレー・コレクション特別公開」が開催され、《赤いチョッキの少年》はこの展覧会の目玉の一つだった。私は憧れのこの作品の実物が見たくて、初めて一人で横浜まで旅をした。この作品を見ると、この作品そのものの印象よりも、横浜へ向かう東海道線から見た車窓の風景や、横浜美術館の展望室から見た、当時はまだ空き地だらけで埋立地であることがよくわかるみなとみらい21地区の風景などを思い出す。作品を見ながら旅の風景を思い出す、人は絵を見て何を見ているのだろう、空白の少年の部分にはそんな思いが詰まっている。
(名古屋市美術館協力会オリジナル・カレンダー、コメントより抜粋)

展覧会歴

(17-16) THE BOY IN THE RED VEST

 

2017年

42×29.7cm

BFKリーブ、鉛筆、色鉛筆

名古屋市美術館蔵