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「水について」

 私は以前《SURFACE》など、水面をモチーフにした作品を数点つくりました。そのときは具体的なイメージではなく、抽象的な美しさで作品を見せられないかと考えていて、具象と抽象のはざまのような存在として水が思い浮かびました。水面のイメージを、グリットを利用して規則的に立体にしているうちに、どんどん具体的な形から離れていきました。水は実体の掴みづらいもので、ダ・ヴィンチもそれを掴むために水を石膏で固めてみたりしていたという話を、このシリーズをつくりながら思い出したりしました。
 そんなきっかけから水をモチーフにした作品をたびたびつくるようになったのですが、そのうち自分の作品と水に共通性があることに気づきました。澄んで穏やかな池や川、湖等を眺めていると、目の焦点の合わせ方次第で、水面の光や映り込みが見えたり、水底の石や魚が見えたりします。そのこととインタリオ・オン・フォトにおいて、表面の平面的な描写やテクスチャーが見えたり、その下にある写真で表現された奥行きが見えたりすることが近いと感じました。また、水を例えるときに無色透明、無味無臭と言ったりしますが、実在がはっきりしないそんな存在の水と、純粋な絵画でも版画でも写真でもまして立体でもない自分の作品が、何かとても近いものであるようにも感じました。
 また最近の作品の《NACHI FALLS》や《BOAT IN FOREST》などでは以前の作品のような、視覚的な現象としての水という事に加えて、物語を感じさせるものとしても水を扱っています。水は、様々に姿を変えるものであるだけに、それに触れる側に判断が委ねられるのだと思います。だから人は水に対して、生命に欠かせないものというだけでなく、様々な思いを重ねるのだと思います。