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ネクスト:信州新世代のアーティスト展によせて

 幼少期を過ごした飯田市は、私の制作の原点のひとつです。まだ色々なことについてわかっていなかった時、道に落ちている石ころでさえ生きていると信じていました。毎朝保育園に行くのが嫌で、母に石蹴りしながら行こうと促され渋々通っていた道すがら、「石は生きているの?」「草は生きているの?」「水は生きているの?」と母を質問攻めにし、また、通園途中の神社で手を合わせれば、いろんなところに神様が宿っていると感じ、身の回りのあらゆる物に手を合わせ拝んでいました。「ごんげんやま」と意味もわからず呼んでいた虚空蔵山と風越山。頂上から突き出た何本かの木が、遠くから見てもそれとわかる特徴があり、飯田市の街からいつも見えるこの山にとても愛着を感じ、よく登ったりもしていました。後になって、身近にあったこの山が神々や仏と関係があったと知り、身の回りのものを拝んでいたのもあながち間違ってなかったのかもしれないと思ったりもするのですが、この頃の未分化な感覚は、それ故に世界に対する先鋭さを持っていたのではないかと思います。
その後、10代以降を過ごすことになった愛知は、それまで過ごした長野とは真逆の海抜0m地帯で、まわりに山のない平らな土地でした。長野から越してきた時はずいぶんとギャップを感じましたが、今では愛知の生活の方がすっかり長くなってしまいました。
私の育った環境はこのように、山が身近にあり起伏に富んだ長野と、なにもなく平らで遠くまで見通せる愛知の2つがあり、気持ちの中でいつも共存しています。その結果、どちらにも属さない宙吊りの感覚になる時もあります。しかし、この宙吊りの感覚は決してネガティブなものではなく、このことを見つめることが思考の原動力になると考えています。
私は絵画とは何かという問いについて考えて制作をしていますが、制作方法は純粋なペインティングではなく、立体や写真、版画といった手段も使っています。作品についてよく人から「これは何ですか?」と問われます。写真なのか版画なのか絵画なのか、どっちつかずの感覚、要素の共存による確信のなさが、これは何?という判別の宙吊り感覚を生むのではないでしょうか。私自身が宙ぶらりんであるが故にこのような作品を作ってしまうかも知れません。しかし、この宙吊りの感覚を見つめ、考えを巡らせることで、目の前の絵画の物質的に安定した場から離れ、不在の絵画が姿をあらわし、絵画の本質に触れられるのではないかと考えています。さらに絵画を通して長野に居た頃のような世界に触れる感覚にも到達したいと願っています。

山田純嗣