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「我が唯一の望み」

 私は学生時代、絵を描くにあたって、何を描いたらいいかわからなかった。人を描いても、静物や風景を描いても、ただ表層を変えただけにすぎないように思えて、何もつかめなかった。そんな時、画集でシモーネ・マルティーニの『受胎告知』(ウフィッツィ美術館所蔵)を見た。その瞬間何かが繋がった気がして、それ以降、額縁のような作品ばかりつくり続けた。マルティーニのその作品は、ゴシック様式の黄金のフレームの中に若干の立体感を持って受胎告知の場面が描かれたものだが、私はそのフレームに魅了された。もともと教会などを飾る壁画だった絵画は、壁から自立すると、今度は額によって飾られる側になった。では飾るものを飾る額とはなにか、そこに絵画の構造が隠れているのではないかと思うようになり、自分の興味は、描かれた表層ではなく、絵の構造の方に向かうことになった。額縁の側、つまり外側から、絵画とは何かということを考えるようになった。結果として、立体、写真、版画など、ペインティングではない手段をとるようになったのだが、その視線は常に絵画に向いていた。
 今回の展覧会のサブタイトル「À Mon Seul Désir」とは、フランス中世美術館にあるタピスリー『貴婦人と一角獣』の6連作のうちの1枚のタイトルである。他の5枚のタイトルは「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」と五感に関するものになっているが、この6枚目は訳すと「我が唯一の望み」となる。この6枚目の意味することが何かは謎に包まれているが、「愛」だとか「理解」と解釈されている。
 絵画の本質とは、「リンゴ」とか「絵の具」のように指差して示せるようなものではなく、このタピスリーのタイトルの意味する「愛」だとか「理解」といったもののように、指差すことができない部分にある。描かれた表層ではなく、それを通して見る人の心に宿るものこそ本質なのだろう。絵画は視覚芸術であるのに、本質を目で見ることは難しい。
 今回、会場にはいわゆる絵画らしい絵画は並んでいないかもしれないが、だからこそ見る人の心に絵画とは何かという思いが宿ってくれることを願っている。それを今回の「我が唯一の望み」としたい。