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「既視感の森へ迷い込む」

既視感【きしかん】/デジャ–ビュ【déjà vu(フランス)】 〔心〕それまでに一度も経験したことがないのに、かつて経験したことがあるように感ずること。既視体験。

 日常生活の中で、ある情景に心を動かされて、咄嗟にデジカメや携帯電話のカメラで撮影してみて、写った画像とのギャップにがっかりさせられたり、美しい風景に出会って「絵みたい」と喩えたりするとき、人は目の前の現実を見つつも、それとは別のものを思い出したり、イメージしているのではないでしょうか。また、それとは逆に、非現実の、夢や物語の中にどっぷり入り込んでいるときにも、人は心を動かされます。そのときには、現実ではあり得ないことであっても、非常にリアルに感じています。
 これらの現実と非現実といった、相反する関係の間を移行する心の動きとは、理解の許容量を超えて溢れ出したときに感じるものだと思います。ただ、それも全く理解不能というのではだめで、あくまで、今まで経験したことの範囲からわずかに溢れた、といったものだと思います。解りそうで解らない、でも解りそう…。その感覚が心地いいのか、悪いのか、われわれは、知っているはずのものが別の域に達しそうな、あるエッセンスに触れたとき、心を動かされるのだと思います。
 既視感のように、知っているような気がするのに、何かははっきりと言えないような感覚に迷い込んだとき、われわれは、それが何であったか必死に思い出そうとするのです。

山田純嗣