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「山田コメント」

 最近私は「分かりやすいこと」について過敏に懐疑的になっています。各分野で専門的に研究している人の話は、専門用語が多くてわかりにくいことが多いです。しかしそれは、わかりやすい言葉に言い換えて、ニュアンスが変わってしまうことを避けて、イメージをそのままダイレクトに伝えようとするが故なのではないかと思うのです。新しい発見を表現するには、既成の言葉では表現しきれない、新しい言葉や聞き慣れない言い回しが必要なのです。
 落ち込んだときに使う「凹む」だとか、憂鬱な気分のときに使う「ブルー」といった表現も、本来の用法とは違うのに、あるモヤモヤとして一言で言い表しにくいそういった感覚に対するダイレクトな用法として、若い人を中心に頻繁に使われる言葉になりました。しかし、最初はある特定の状況をダイレクトに表現するための言葉であっても、分かりやすい言葉で一般化してしまうと、受け手によってイメージに誤差が生まれます。今ではAさんのイメージする「ブルー」とBさんの「ブルー」では、ニュアンスが必ずしも一致しないのです。もともとは一言では「伝えにくい」感覚だったものが、「分かりやすい」言葉に置き換わってしまうことによって、受け手は安易に「分かった気」になってしまうからです。
 私も普段のコミュニケーションでは、反応がなかったらどうしようといった不安から、ついついわかりやすい言葉や安易な笑いに妥協してしまいがちですが、作品ではその不安とちゃんと向き合うように心がけないとなあと思う毎日です。私の作品を初めて見た人は技法についてどうやっているのか疑問を持つことが多いようです。しかし技法について理解したところで、きっと最初のモヤモヤした気分は完全には晴れないような気がします。その完全に晴れないモヤモヤとした感覚の中に私は私の作品のリアリティがあると思います。そして、完成した作品に顕れた新たなモヤモヤが次の作品へと私を導いていくのです。と、ここまで書いてかなり長くなってしまったので、私の作品の技法やテーマについて具体的なことを述べるスペースがなくなってしまいました…。